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長崎ぶらり秋紀行・その1

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長崎市制120年を記念した「大還暦」コンサートに知世さん出演。ということで、長崎へはるばる行って来たのでありました。
どうせなら、ということで、ちょっと長崎ぶらり旅。

知世ファンを名乗るならば、
お生まれになった後藤会病院産婦人科(現・ながさき内科・リウマチ科病院)とか(※コンサートに出演された平原まことさん[=平原綾香さんのお父上]が、ここの近くの長崎市油屋町のご出身だそうです)、
卒園された百合幼稚園とか、
卒業された西北小学校とか(※コンサートに出演されたさだまさしさん佐田玲子さんご兄妹がこの学校の出身だそうです)、
卒業はされなかったけれど岩屋中学校とか(※コンサートに声のコメントを寄せた福山雅治さんが通った県立長崎工業高校が、この中学校のすぐ隣りだそうです)、
貴和子さん知世さんお気に入りだったというキッチン・カナリーとか、
ご家族でよく皿うどんやチャンポンを食べたという中華料理店・青龍とか、
アクセサリーをよく買いに行ったという浜町の多津屋「花子の部屋」とか、
映画「愛情物語」のロケ地となったオランダ坂付近や眼鏡橋活水女学院付近とか、
映画「長崎ぶらぶら節」の舞台となった丸山・花月思案橋跡とか、
……そういう場所を訪ねるべきであったかもしれません。
が、結局、訪ねずじまい。
(百合幼稚園だけは、バスの車窓から見ることが出来ました。)

ただ、長崎の空気は感じられた旅だったように思います。
というわけで、知世さんとは直接関係のないことも多々ありますが、ご容赦を。

kamome.gif

と言っておきながら、ついふらふらと知世さんの足跡をたどってしまうところが、ミーハー・ファンの哀しい性(さが)でありまして……。
知世さんが2歳の頃から10数年間通ったという元・鳳バレエスタジオのあった出来大工町の、今は愛花バレエスタジオのビルをながめて来ました。

路面電車の「諏訪神社前」駅近く。
民家や店や事業所の並ぶごく普通な町の通りにさりげなくありました。

ちょっと足を伸ばせば、毎年バレエの発表会をしたという長崎公会堂。
「愛情物語」コンサートはここからスタートしたんですね。
今はちょうどくんち祭りの特設会場がしつらえてありました。

スタジオのある一画のすぐ裏には中島川。
いかにも長崎な歴史を感じます。

中島川の橋

川ををちょっと下ると、有名な眼鏡橋。
その眼鏡橋と似たような石橋群が中島川には18もあるそうで、写真の橋もそのひとつ。
「編笠橋」というそうです。
ここら辺りには、橋また橋が並んで架かっています。
この編笠橋から100mばかりもないんじゃないでしょうか、お隣りは「大井手橋」。
出来大工町のお隣りの大井手町にある橋です。

ooidebasi.jpg
photo byartworks
※こちらの橋の撮影は失敗して真っ黒になってしまったため(なにせ、この時がデジタルカメラの撮影、初体験なのでした。)、「アートワークス」さんからお借りしました。


大井手町の橋の上で 子どもの旗(はた)げんか 
世話町が五六町ばかりも 二三日ぶうらぶら ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう


と、「長崎ぶらぶら節」に歌われた橋ですね。

「旗(はた)」というのは、「紙鳶(はた)」と書くと、いわゆる凧。
長崎では「凧(たこ)揚げ」と言わず、「紙鳶(はた)揚げ」と言うんだそうです。
で、「はたげんか」とは、てっきり子どもの凧合戦かと思いきや、これは江戸時代、子どもたちが正月に遊んだ「陸(おか)ペーロン」という遊びのこと。
ペーロンは、長崎に伝わる中国風手こぎ舟。
このペーロンで漕ぎ比べをする競技があるそうで、今でも7月には長崎港で「長崎ペーロン選手権大会」が行われるのだとか。
これを真似て、陸の上で子どもたちが組になり、のぼり旗を立てて走りっこ競争をする。
勝った組が相手の旗を取るというのが「陸ペーロン」遊びで、これを各町で組になって競争をする。
そのうちおとなが入って夢中になると、ほんとのケンカが始まる。
で、世話役が仲裁に入っても二、三日はおさまらない、なんてことがあったんだそうです。

石橋の上で、子どももおとなも入り混じり、ワイワイ、ワイワイ騒いでいる情景が目に浮かんで来るようです。
今は、すっかり閑静なところですが。


で、ふと、橋のたもとの石灯籠の中に、河童、発見。

kappa-1.jpg

中島川を背に、河童クンがチョコンと鎮座ましましてござります。

kappa-2.jpg

この河童クンたちは、中島川の特に上流の方で、いろいろ伝説を残しています。

上流の西山に伝わる話。
河童は、もともとは水神さまの家来。
が、だんだん数を増し、いたずらも増えてきた。
そこで、水神さまに仕える神主さんが真夜中に酒やご馳走をふるまうと、飲めや歌えの大騒ぎ。
翌朝には、酔っぱらった河童たちが中島川のあちらこちらで水のかけっこをしてふざけたり、石の上に酔いつぶれていたり。
それからというもの、悪さをしなくなり、神主さんは毎年6月15日の丑三つ時(夜中の2時頃)にお酒をふるまうそうです。

また、中島川へと流れ込む上流の一の瀬川。蛍が舞う景勝地として知られた一瀬の茶屋(通称・蛍茶屋)の近辺ですね。
その本河内の水源にある水神神社に伝わる話。
こちらの神主さんは、毎年5月5日の真夜中に酒やご馳走をふるまうそうです。
あるとき、神主さん、河童へのご馳走に一品、竹の輪切りを加える。
一方、自分のお皿には,筍(タケノコ)の煮たのを入れておく。
ギコギコのこぎりで作った竹の輪切りなんて、パンダならずともそう簡単には食べられそうにありません。
ところが神主さん、驚く河童の目の前で、さもおいしそうにパクリ、パクリと食べまくる。
ああ見えて人間というやつはなかなかにたいしたもんだ、あの固い竹をいともやすやすと歯で噛み砕いて食っちまう。
と、河童たちは感心して、それからというもの、悪さをしなくなったそうです。

河童族は、時に荒々しく、時におどけた、ユーモラスで憎めないような逸話を日本各地、津々浦々に残しています。
が、ここらのいかにも人の好さそうな河童たちの話は、どこかしら長崎県人の横顔を反映している気がしないでもありません。

ここ編笠橋のたもとにいる河童クンは、酔っぱらった赤い顔ではなく、なぜか黄色い顔ですましておりました。

雲・ハート

さて、バレエスタジオから250mほどのところに諏訪神社があります。
知世さんが通っていた時代、時々ここの境内で遊んだりしたのだそうです。

アルバム「music & me」制作当時、家庭的な伊藤ゴローさんのスタジオで、近所のバレエ教室に通う子どもたちの遊ぶ声が聞こえてきた。
ゴローさんがすかさず録音し、「Cruel Park」のS.E.に使い、その後のライブのオープニングにも使ったというエピソードを思い出します。

が、おれが訪ねたときは、10月(じゅうがつ)9日(くにち=くんち)。
子どもたちの遊ぶ声は聞こえず、まさにおくんち祭りの真っ最中でした。

suwajinja.jpg

昔々の1634年。
江戸幕府が鎖国を決めて、長崎に出島の造成を始めた年。
興福寺のお住職が中島川に眼鏡橋を架けた年。
その1634年の9月9日の重陽(ちょうよう)の節句を祝う儀式が催される。
その時、長崎の氏神さまであるこの諏訪神社の社殿の前で、
高尾姐さんと音羽姐さんという二人の遊女が舞を奉納したのが起源なんだそうです。

長崎名物 紙蔦(はた)揚げ 盆祭り
秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶうらぶら ぶらりぶらりと言うたもんだいちゅう


と、「長崎ぶらぶら節」に歌われていますね。
「シャギリ(商宮律笛)」というのはお囃子のことだそうで、笛や太鼓が高らかに鳴らされていました。時にはこれにチャルメラが入ってもっとにぎやかになるそうです。

図書館の方の話では、昔、長崎には49の町があり、7年に1回、踊り町の当番が廻って来る。(食堂のおじさんの話では、77の町とのこと。)
で、毎年だいたい7つほどの町が踊り町になって、蛇踊りやら、鯨の潮吹きやら、太鼓山(コッコデショ)やら、各々自慢の踊りを奉納する。
けれど踊り町になると、資金を集めて幕や神輿や衣装を作ったり、踊りの稽古をしたりで、それはもうタイヘンなことなんだそうです。
今は、若い世代が町を離れたり、核家族化が進んだりで、なかなかそういう仕度も出来にくい。辞退する町も多いのだとか。
それでその町に住む人だけでなく、親戚や会社の同僚や友人など縁(ゆかり)のある有志をかき集めてやるところもある。
今年は、約50年ぶりに復活した町があるということで、評判でした。
それが今篭町で、さだまさしさんが“奉賛名誉会長”となって活躍されてたんですね。

各町のお神輿はいったん大波止(おおはと)にある「お旅所」という広場へ「お下り」になる。
台風で遅れた飛行機で長崎入りした10月8日、おれは大波止の宿に泊まったのですが、広場を埋める人ゴミと露店にびっくり。
何かお祭りだとは思ったのですが、ここにお神輿があったと後から聞いて残念でした。見物しておけばよかった。
露店の梅が枝餅は美味しかったのですが。

お神輿は朝早くお旅所から出発。
そうして諏訪神社で踊りを奉納するのですが、それだけではない。長崎の町々を練り歩き、途中、「庭先廻り」といって、あちこちの家(商店や企業が多いそうです。)の前で、さわりを踊る。
これを7日8日9日と、3日間夜遅くまで続けるわけですから踊り手の体力気力もタイヘンなことでしょう。
おれが見た唐人船では、小さな子どもたちが頑張っていました。

kunti.jpg

やや疲れた表情にも見えましたが、緊張していたのでしょう。
踊りが佳境に入ると、おとなたちに負けないパフォーマンスぶりで見物客を沸かせていました。

で、ひとしきり踊ると、町内の子どもたちがバラバラと中央へ出て、周りの見物客に向かって、
「もってこぉーい! もってこぉーい!」
と、煽ります。
すると見物客も応じて、
「もってこぉーい! もってこぉーい!」
と、返す。
この掛け声にはアンコールの意味もあったりするんだそうです。
で、盛り上がったところで、また踊りが続けられる。
ぼ~っとながめていた異邦人気分の旅人もすっかり高揚して、まるで長崎っ子になってお祭りに参加しているような気分にさせてもらったのでした。

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