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「時をかける少女」──心に刻まれたあの瞬間(とき)

category: movie  




ひとが現実よりも、

理想の愛を知ったとき、

それは、ひとにとって、

幸福なのだろうか?

不幸なのだろうか?



知世さんは、この映画の撮影の前、大林監督から
「映画に出演することは、映画の歴史に参加することなんだよ」
と言われたそうですね。
たしかにその通りだと思います。

しかし、それから20年たって、いよいよはっきりしてきたことは、
映画に出演することは、みた人の人生のこころの歴史を彩ることでもあるんだよなあということです。

いえ、初めてみたときには、演技がスバラシイの、ストーリーがスバラシイのとはまったく思わなかったんです。
けれど、セリフの一言一言が、風景の1シーン1シーンが、こころの襞に残っていった。
初めてみたときには懐かしい気がして、
そしてその後、改めてみるたびに新鮮さを覚える。

尾道や竹原なんて行ったこともないのに、まるで自分が実際にそこで体験したかのように。
そう、まるで映画そのものがデジャ・ヴであるかのように。
ほんと、不思議な映画です。

上の言葉は、映画の冒頭に掲げられた言葉。
現実よりも、理想の愛を知ることは、幸福か? 不幸か?
どちらなのでしょうか?

雲・輪

去年の夏に他界したおれの祖母は、101歳でした。
一般的には長寿をまっとうすることができた恵まれた一生と言えるかもしれませんが、
必ずしもそうではない人生だったような気がします。

貧困。
関東大震災。
夫の病死。
再婚相手の酒癖と女性問題。
戦争。そして、貧困……。
そんな中、5人の子を育てあげた祖母は、ずっと働きどうしだった。

その祖母が最晩年、打ち明けてくれたエピソードがありました。
それは、祖母が16歳のとき。
なんでも、その頃、祖母の家は下宿屋として学生さんたちの世話をしていたそうで、
そのうちの一人と恋に落ちたというのです。

祖母にとっては、初恋。
当時、川沿いの土手を歩きながら、歌を教わったりしたのだそうです。
どうやら、プラトニックな恋のようでした。
しかし、家の格が合わないということで交際は反対され、
やがて彼が就職して外国への転勤が決まったことから、破局を迎えたということでした。

「そりゃあ、きれいな思い出でねえ」

視力の弱った祖母の目には、今でも、彼の姿が見えているのかもしれませんでした。
100歳に手が届こうかという老女の胸の底に、
16歳の日々の想いが、ずっと暖められていたのです。
それは、その後の、けっして恵まれていたとは言えない彼女の人生の中で、
変わらない輝きを彼女に与え続けていたのかもしれませんでした。

彼女にとって、それは幸福だったのか? 不幸だったのか?

おれには、わかりません。
ただ、理想だと思っていた愛が、現実の中でちっとも理想でなくなってしまったり、
風化したり、
逆に、現実の愛の中に、理想のかけらを発見していくってこともあるのではないでしょうか。

酒癖と女性問題にさんざん悩まされた再婚相手(おれの祖父です)が病気に倒れたとき、
10年以上も献身的に看病し、その死を看取ったのも祖母でした。
それはけっして理想的な愛ではないし、幸福な愛のかたちでもなかったかもしれません。
が、祖母は祖父を愛していたんだろうなあと思います。
その現実の愛は、やはり幸せと言えたのではないかと。

しかし、16歳のときの理想の愛の瞬間が、
101年の彼女の人生の中に生き続けたのも事実なんでしょうね。

雲1

ほのかな淡い想いを抱いていた相手が永遠に去ってしまうかもしれないと知ったとき、
芳山和子は、自分の中の想いの深さに気づき、とまどいながら言います。

「これは……愛なの? これは……愛するってこと?」

そして、もう時間がない、どうして時間は過ぎていくの?と言うと、
その相手、深町クンが答えます。

「過ぎていくもんじゃない……
時間は、やってくるものなんだ」


ギリシア語では、時間をあらわす言葉が2種類あるんだそうですね。

ひとつは、「クロノス」。
ギリシア神話では、自分の子どもを食べたり、大鎌を振るったりする神でした。
これは、カレンダーや時計で表される時間の流れ。
○年○月○日○時○秒という、物理的な時間です。

もうひとつは、「カイロス」。
これは、“生まれた時”、“気づいた時”、“決心した時”、“結婚式など何か儀式をする時”などなど、
ターニングポイントにもなったりするような、人にとって意味のある時間のことだそうです。

おれたちは、刻々と過ぎていくクロノスの時間の中で日々を生きていて、
このカイロスの時間を忘れているのかもしれません。
それはちょうど、
ミヒャエル・エンデのファンタジー「モモ」で描写されていた“時間の花 ”にも似ています。
花が咲きほころぶように、時間は生まれてくるというのです。

つまり、「時間は、やってくる」。
機械的に流され、こころに余裕なく、ただ追われる時間は、
クロノスの大鎌になぎ払われるように、ただ過ぎていくだけなのでしょう。
けれど、その瞬間瞬間を生きて、意味あるものとするとき、
時間は生まれる——やって来るものとなるのかもしれません。

芳山和子にとって、「土曜日の午後の実験室!」の“土曜日の午後”という時間は、
「カイロス」的な時間だったに違いありません。
彼女は、時(クロノス)をかけて、時(カイロス)を求めたんですね。きっと。

その決定的な瞬間、彼女は愛を知り、同時に別れを知ることになる。
結局、記憶は消されてしまうわけですが、
しかし、その瞬間は、こころの中から消えなかったのではないでしょうか。

その何年か後、和子と深町クンは大学の廊下で再会し、
新たな物語の始まりを予感させながらフェードアウトします。
もしかしたら、その理想の愛は実ったかもしれない。
いえ、もしかしたら、実らなかったかもしれない。

けれど、どちらにしても、
愛を知った、あの土曜日の午後の瞬間——カイロスという「時」は、
和子の中でずっと生き続けているのではないかと思うのです。

それは、この映画が上映されてから20年たった今でも。
そしてもしかしたら、和子が101歳になったとしても。

tori-01.gif

芳山和子の後ろ姿が大学の廊下にフェードアウトした後、知世さんの歌声が流れ、
祝祭的なミュージカルとともにエンドロールが流れます。
そうして時を後戻りするかのように、各場面がリプレイされ、
やがて和子と深町クンが出会った星空のファーストシーン。

そして次の瞬間……。







tokikake1.jpg

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tokikake5.jpg




……一人の少女が、西方寺の境内をかけてきて、立ち止まり、
ちらりと視線をそらした後、はにかむように微笑むのでした。
この時、少女は、“芳山和子”ではなく、“原田知世”だったかもしれません。

この瞬間は、決定的でした。
いやー、これはもしかしたら、
知世さんのミーハー・ファンにとっての「カイロス」的な瞬間でもあったかもしれませんね(笑)。

そしてそれは、微笑みが、“永遠”に変わった“瞬間”でもあったような気がしてなりません。





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2015_11_25

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