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「やさいのようせい~N.Y.SALAD~」(NHK教育/毎週木・金曜日朝07:15~07:25)、楽しみです。
先週の第19話は、ストーリーらしいストーリーはなく、次々にキャラクターを紹介。
みんなの紹介が終わったな……と思っていたら、最後の最後に隠れキャラが登場しました。
隠れキャラといっても、毎回オープニングに登場していたのですが。
第19話のタイトルは「やさしいまなざし」でした。
ふと、なぜか感じられる“やさしいまなざし”。
いつもみんなを見守っているような“やさしいまなざし”は、いったい誰なんだろう?
芽きゃべつが、ふとそのまなざしに気づいて見上げると、そこにいたのは「月」でした。
知世さんの声は、「ナレーション」かと思っていたら違ってたんですね。
実は、「月」の声。
「月」が、やさしいまなざしで“ようせい”たちを見守りながら、まるでナレーションのように物語を語っていたというわけです。
ちょうどアンデルセンの「絵のない絵本」で、月が語り部として物語をつむいでいたように。

「私を気にしてくれてるの?」
まなざしに気づいて見上げる芽きゃべつに、月が言います。
「ありがとう、芽きゃべつ。誰かに気にしてもらえるって、うれしいことね」
すると、芽きゃべつはにっこりして、
「アウアウーアウ」(←たぶん『Have a good night♪』と言ってるつもり)。
あんな満面の笑みで「おやすみなさい」を言われたら、月でなくとも、そりゃうれしい。きゅんとうれしくなっちゃうんだろうなと思います。
かつて知世さんの曲の作詞をしていた透影月奈(るな)さんが、今頃どこでどうされているかはわかりませんが、
「月」の声の役を知世さんがしていることを、彼女は喜んでいるに違いありません。
きっとどこかの町で。
透き通るような光と影を投げかける月にちなんで自分のペンネームを決めた彼女もまた、あの芽きゃべつの笑顔を見たら、たまらないんじゃないでしょうか。

雲2


ところで唐突ですが、“母親語”というのをご存知でしょうか。
これは、「それさわったら、アチチよ」「アンヨしなさい」などと、幼児語を使って語りかける母親の言葉とは違うんだそうです。
ではなくて、母親が語りかける声。
いえ、母親だけでなく、母親ではない未婚の女性であっても、おとなの女性が3歳児未満の乳幼児に接するとき、その声に共通な特徴があらわれやすい。
いわく、
(1)声が高くなる
(2)声の抑揚が激しくなる
……んだそうです(正高信男著「ヒトはなぜ子育てに悩むのか」講談社現代新書、同著「0歳児がことばを獲得するとき」中公新書)。
全員が全員100%ではないのだけれど、そうした特徴が、言語や民族を越えて世界中の女性に見られるのだとか。
そう言われてみれば、「あらあらあら」などと赤ちゃんを抱き上げるときの女性の声は、たしかにふつうより3割り増しほど高く聞こえます。

最近、南アフリカのスラムを舞台にした「ツォツィ」という映画を観ました。
殺人にまで手を染めるスラムのチンピラ、ツォツィ(“不良”という意味)が赤ん坊を拾い、育てる物語。
腹をすかせた赤ん坊のため、授乳するよう、彼はある母親を銃で脅しつける。
脅されながらも、自分の子と同じように乳を含ませ赤ちゃんに語りかける母親の声は、静かで穏やかなのですが、高音でちょっと抑揚のある感じ。
つまり、母親語でした。
南アフリカでもやっぱり母親語が話されるんですね。
そんな母親に銃を突きつけながらも、彼は今まで忘れていた感情に満たされてふと微睡(まどろ)んでしまったりする。
赤ん坊を育てることでツォツィ自身が変わっていくのですが、彼が変わったひとつには、そんな母親の姿に接した──母親語を聞いたりした影響もあったかもしれません。

正高信男さんによれば、この母親語は、子どもの成長に意義があるのだそうです。
赤ちゃんは生理的に、ちょうどこの母親語の音の高さ、周波数の声に反応しやすいというんですね。
母親語で話されると、その声に反応して、ほほえんだり、首を振ったり、手足をバタバタさせる率が高くなる。
つまり、「うれしい」という感情を示しやすくなる。
さらに赤ちゃんは、この母親語に耳を傾けるだけでなく、模倣しようとするそうです。
この模倣が、ことばの獲得には大切なんですね。
赤ちゃんが好む周波数に合わせて母親が声を高くするのか、
それとも母親の高い声の周波数を知っていて赤ちゃんが好むのかはわからないそうですが、
子どもと接する女性たちは、無意識的に声をチューニングしているというわけです。

では、男性は、そんなチューニングをしないのか?
というと、実は男性も、「母親語」を話すのだそうです。
こちらも、全員が全員ではないのですが、3歳児未満の乳幼児に接するとき、(1)声が高くなり、(2)抑揚が激しくなる、という母親語の特徴があらわれる。
この傾向は、男性が父親となって育児に参加し、父親であることを自覚していくにつれて高くなる。子どもを育てることで、母親語を話すようになる人が増えるのだといいます。
ところが、もともと男性の声は女性よりも低い。
低い声帯。
だから、声が高くなっても、女性の母親語の高さ――赤ちゃんの好む周波数には届かない。
チューニングができないんですね。
では、男性の「母親語」――いわば「父親語」は意味がないのか?

正高信男さんの調査によれば、女性が母親語で絵本の読み聞かせをすると、赤ちゃんの微笑みが多くなり、リラックス度が増す。
ところが、男性が父親語で読み聞かせをしても、特に効果は見られない。
と思っていたら、さらに詳しく調べた結果、ある種の絵本では赤ちゃんの反応を引き起こすことがわかったそうです。
それは、オバケや怪獣などが登場する絵本。
つまり、スリルやサスペンスを演出するハラハラ・ドキドキの絵本では、男性の父親語が効果を発揮する。
女性の母親語が安らかさやリラックスをもたらすのに対して、男性の父親語は緊張感や興奮をもたらす。
これは、母親語の第二の特徴――(2)声の抑揚が激しくなるという要素によるところが多いのだといいます。

正高信男さんはこう述べます。
女性の母親語は、母親と子ども(保育者と子ども)の結びつきを強くし、関係を安定させ、それが言葉の習得に貢献したりする。
一方、男性の母親語(父親語)は、たとえば、外界に危険なものがあったとき、「それを触ってはいけない」「近づいてはいけない」など、身を守るための注意と緊張感を促す。
男性・女性の声の違いの中に、こうした生理的な子育ての役割分担のようなものがあるのではないかというわけです。

ここからは推測にすぎませんが、母親語でなくても、男女の声にこうした生理的な要素が生きているような気がします。
男女ともに、母親語は3歳児未満の子どもと接するときにあらわれやすい。
つまり、3歳を越えた子どもに対しては、ふつうの声で話しかけることになる。
まあ、3歳を越えても、かん高い、甘ったるい声で話しかけられたら、子どもたちは気持ち悪いでしょう。
赤ちゃん扱いするなと、抗議されるところですね。
しかし、こうした男性・女性の声のもつ本来的な性質は、地声でも変わらないのではないでしょうか。
たとえば、3歳以上の大きな子どもたちを相手にしたとしても、女性が絵本の読み聞かせをすると、その声は、こころを安定させ、リラックスさせ、包みこむような信頼感の中で、情操を育むような効果がある。
男性の場合、その声は、スリル感を演出し、冒険への興奮を駆り立てて、ピンチに立ち向かい、社会へ踏み出す勇気を教えるような効果がある。
──のではないか。

しかし、まあ、男性的・女性的といっても、個性はそれぞれなのかもしれません。
女性がドキドキの演出を見事に醸し出したり、男性がうまくリラックスを促すように表現をしたりすることがあるのはもちろんです。
同じNHK教育テレビのアニメ番組「スキマの国のポルタ」のナレーションは、吉岡秀隆さん。
登場人物たちは言葉にならない声を出し、言葉としてはナレーションが物語るというスタイルは「やさいのようせい」と似ています。
吉岡さんの語る声は、のんびりした楽しさと親しみやすい物語の雰囲気そのまま。安らげます。
が、やはりその男性の声は、たとえば知世さんの女性の声と、どこかニュアンスが異なるように思います。
幼い子どもたちを見守り、子どもたちに語りかけるような知世さんの自然な声は、典型的な母親語とは言えないまでも、女性に顕著なその特徴をよく伝えていると思うのです。

月のほのかな明かりにそっと包み込まれる芽きゃべつの後ろ姿。
知世さんの語る女性的な声は、子どものこころを抱きしめるようなそんな月の明かりそのものに思えてくるのでした。



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